「まなざし」の先に

⑦空気人形(是枝裕和) ☆☆☆☆☆☆☆★
醃.年上ノ彼女1,2(甘詰留太) ☆☆☆☆☆☆☆★

ようやく観た空気人形はとりあえずカメラがよすぎました。
美術も種田さんだし、布陣として最強じゃねーかと。

あたしは是枝作品は正直苦手なのですが、そんな是枝作品の中では一番好きかもしれません。

是枝監督はドキュメンタリー出身だからなのか、細部に対するまなざしはとても豊かだと思うのですが、いかんせん全体の構成が大味すぎてげんなりすることが多いのも確かです。それは本作にもある意味では当てはまるのですが、それにしても「おや、今回の是枝は違うぞ」という感じが強かったです。それはやはりぺ・ドゥナという主人公の力が大きかったのでしょう。

是枝作品でいつも感じるのは、登場人物が物語を引っ張るのではなく、かといって監督が引っ張るのでもなく、状況が物語を引っ張る、というものです。
そしてその態度は決して悪いものではないと思うのですが、そういった物語の中にあるとき突然監督がぐわっと出てくる瞬間が散見されて、その度あたしはぎょっとしてしまうのです。悪い意味で。何も、ぎょっとするのがいけないというのではありません。実際、あたしは塩田明彦監督の作品には何度もぎょっとされ、その度に何度も気持よくさせられているのですから。でも、「ぎょっとする」には気持いいものと気持悪いものがあることを、あたしたちは知っているはずです。
さて、ぎょっとさせられるのは今回も同じで、そしてそれはやはり気持のよいものではないのですが、『空気人形』に至っては、それを上回るだけの細部に対するまなざしと、全体を包括するまなざしが備わっていました。

是枝監督が細部を、ぺ・ドゥナが全体を。
そして、そのまなざしは当然のようにわたしたち観客をも巻き込んでゆきます。

物語は、窓の外に横たわるぺ・ドゥナ(とその周りに点在しているりんごやガラス瓶)を見つめるひとりの少女のまなざしを持って終わりを告げます。
かつて誰かが空気人形に吹き込んだ息によって、ぺ・ドゥナの生が始まったように、今度はぺ・ドゥナによる息によって誰かの生が始まります。そして、息を始めたあたしたちが次にすることは果たしてなんなのか。

それは「見る」ことに他ならないのです。