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一か月分。
忘れてるのもある気がするのでそしたらあとで追加。
ジエン社も行けなかったし、TOCHKAも観れなかったし、そしたらもう暑さに負けて全部どうでもよくなってきました。どうでもよくなって今更CROSS † CHANNELに手を出しました。そしたらしばらく戻ってこれなくなりました。現実ってなんだろう。次元ってなんだろう。非実在なあの娘が笑ってくれるだけで、生きていけそうな気がします。
⑨ヒーローショー(井筒和幸) ☆☆☆☆☆☆☆★
⑩パーマネント野ばら(吉田大八) ☆☆☆☆☆☆☆☆
㊇ミステリアスセッティング(阿部和重) ☆☆☆☆☆☆☆☆★
㊈グランド・フィナーレ(阿部和重) ☆☆☆☆☆☆
㊉さようなら、ギャングたち(高橋源一郎) ☆☆☆☆☆☆
㊉㊀「悪」と戦う(高橋源一郎) ☆☆☆☆☆☆
㊉㊁神話が考える(福嶋亮大) ☆☆☆☆☆☆☆
㊉㊂思想地図 vol1 ☆☆☆☆☆☆☆
㊉㊃青空感傷ツアー(柴崎友香) ☆☆☆☆☆☆
醞.家政婦が黙殺(篠房六郎) ☆☆☆☆☆☆☆
醬.ウワガキ(八十八良) ☆☆☆☆☆☆☆★
Ⅹ.生活【完全版】(福満しげゆき) ☆☆☆☆☆☆☆☆☆
【ヒーローショー ネタばれあり】
「暴力」や「怒り」はひとつのベクトルであがゆえに、しばしばそれを介して「友情」が育まれたりもする。それは、よくある不良モノ(『クローズ』とか『クローズ』とかえぇと、『クローズ』)では当たり前の展開であるのだが、『ヒーローショー』に至っては、そういった暴力はただの「暴力」としてのみ機能する。そういった暴力性について色々考えていたはずなのだけど、忘れた。思いだしたら書き直すけど、たぶん思いださない。
その画面強度の強さは認めざるをえないけれど、全体としてどうにも評価できなかった。
ただ、ハッとしたのは、登場人物たちはがどこにも「所属」できていないことだ。彼らは唯一「暴力」にのみ所属している。そしてそれは今を生きるわたしたちの姿でもある。
わたしたちはもはや「場」に対する「所属」を許されない。日本に住んでいようがグローバル化のもとでは外国の影響はを受けざるを得ないし、ネットの登場でかつてほど都会と田舎の差はなくなっている(とはいえ、田舎出身のわたしは今現在も様々な点でその土地的な圧倒的な差を感じざるを得ないが)。
生まれた国に、土地に、学校に、家族に、「所属」できなかったわたしたちは「恋人」や「ネット」や「(オンライン)ゲーム」などにその所属を求める。
では、そこまで行ってどこにも所属できなかったわたしはどうなるのだろう。
きっと「行為」に所属することになるのだと思う。
「自傷」、「万引き」、「ギャンブル」、「飲酒」、「痴漢」、「セックス」、「暴力」。
映画に話を戻そう。
彼らは「暴力」に所属していた。というか、してしまった。
この映画を観て、怖いと思うのはこれが他人事なんかでは決してないからだ。
だってわたしたちはどこにも「所属」していないから。
そんな中ささやかな希望は、主人公のユウキ(だっけ?)が、どこにも所属できていないことをなんの気にもせずにぽけらーっと生きているところだ。
ラストシーンで、彼は父と母に店番を代わる旨を伝え、ふたりを画面から追い出す。
その瞬間、かれは「家族」にももはや所属していない。
しかし彼の表情はとても安らかですらある。
彼はどこにも所属しない。何にも所属しない。
しかしそれは決して哀しいことではない。
それは従来の「ヒーロー」の姿では決してないし、「見世物」にしては詰まらなすぎる。
しかし、これこそが現代の「ヒーロー」のあるべき姿なのだ。
と、ここまで強引に論を引っ張ってみたら案外悪くない気がしてきたぞ『ヒーローショー』。引っかかってたラストシーンとタイトルも繋がったし。
【村上春樹と東浩紀と阿部和重と高橋源一郎】
『1Q84』と『クォンタム・ファミリーズ』と『ピストルズ』と『「悪」と戦う』を並行して論じたいのだけれど、如何せん時間がなくてできない。
誰か論じるような気はしているのだけど、どうなんだろうか。
そしてちょっと前には舞城の『みんな元気。』があった。
そろそろ「血縁」にこだわるのはいい加減止めようぜ、とほんとに思う。
少なくとも上記の文学たちはそのことをまっとうに伝えてくれる。
【生活 完全版 (福満しげゆき)について】
なんだかわからないけど猛烈に感動した。たぶん人生ベスト5に入るマンガ。
人生の全部がここには詰まってるんじゃないかって思うくらいの。